名古屋でういろ(ういろう)の2大メーカーとして知られるのが、青柳ういろう、そして大須ういろ。青柳ういろうは明治12年、大須ういろは昭和24年創業で、実は名古屋ういろのルーツではありません。そのルーツこそが、餅文総本店で、ういろ嫌いにも味わってもらいたいのが、「献上ういろ」なのです。

ういろのイメージを一変させる絶品!
名古屋でもっとも古いういろ(ういろう)メーカーで、現存するういろメーカー(和菓子としてもういろ)としては小田原の外郎家と並び長い歴史を誇るのが餅文総本店です。(小田原の外郎家の餅菓子としてのういろうは、江戸時代には一般に販売することがなく、明治4年になってお菓子の「ういろう」の商標が登録されて以降、一般に販売が開始されています)。
つまり、お菓子としてのういろうは、餅文総本店の方が、はるかに先!ということに。
餅文総本店は、万治2年(1659年)創業。
尾張藩の御用商人だった初代の餅屋文蔵が、尾張藩2代藩主・徳川光友(武芸や茶道、書に優れた)に仕えた陳元賛(中国明代末に来日・帰化、尾張藩に仕えた)から製法を学んだのが始まりといいます。陳元贇は、中国明代末の文人で、日本に渡り、1627(寛永4)年に初代尾張藩主・徳川義直に拝謁し、名古屋城下九十軒町に居を構えます。
餅屋文蔵が尾張藩主に献上していた外郎を今に伝えるのが「献上外良(ういろ)」。
餅文総本店では代々、外良と書いて「ういろ」と読ませています。
この「献上外良」と東京のみやげにすると(ういろは止めてという知人も多いのですが)
「この店のういろを味わって、ういろのイメージが変わりました」
「これまでのういろにない食感と風味。まさに伝統の味」
と絶賛の声が・・・。

他の大手メーカーういろうと、何が違うのかといえば、「昔ながらの手作り」。
冷暖房のない工場で釜に向き合って手作りするのは昔のまま。
「外気の温度を人工的に変えるのは勘が狂う元ですし、厳禁」とのこと。
尾張藩主に献上したという「献上外良」は、生米を一晩水につけてから杵でつき、再び水につけ翌日石臼で挽いた米粉をもとに生地をつくり、一枚一枚せいろでじっくり蒸したもの。
砂糖を湯に溶かし、米粉を加えて溶く。温度が低いと米粉(うるち米)は分離するし、逆に高すぎると固くなりすぎてしまう。経験と勘が頼りの作業というワケなのです。15秒ほどで均一に溶かしたら、蒸籠(せいろ)に入れて2〜3時間蒸し上げる。これを外気で冷やしてできあがり。
職人技が、もっちりとして歯切れのいいういろを生み出しています。
餅文総本店のういろは、名古屋駅でも限られた場所にしか置いてありません。確実に手に入れたい人は、ジェイアール名古屋タカシマヤ「銘菓百選」、名鉄百貨店「諸国銘菓」などの利用を。中部国際空港セントレアでは「銘品館」「ANA FESTA」 で。

