創業290余年、大和甘林堂の「鶯餅」

三国湊(みくにみなと=越前三国/福井県)の「大和甘林堂(やまとかんりんどう)」は、1719(亨保4)年創業の歴史を誇る和菓子処。三国湊は北前船の寄港地として栄え、日本海大流通時代(大正時代頃までは物流は日本海ルートがメインでした)には回船問屋が軒を連ね、千石船などの出入りで賑わいました。

江戸時代半ばの宝暦年間誕生という歴史ある餅です

鶯餅

「大和甘林堂の鶯餅」が誕生したのは江戸時代半ばの宝暦年間(1751年〜1763年)。
三国湊に入る千石船で運ばれた砂糖に、地元特産の餅米、小豆、大豆などを加え誕生した餅菓子です。三國神社山王の森(下の写真)に鳴く鶯に発想を得て「鶯餅」と名付け、名産として売り出したということです。以来、200年余りの歴史と風雅を誇る越前三国みやげとなっています。

三国神社 鶯餅

江戸時代には砂糖は「珍品」と呼ばれた貴重品。庶民の口には入らない高価なものだったことはいうまでもありません。改良をしながらも、きな粉をまぶした餅と上品なこしあんで、優雅な味わいを守り続けています。
賑やかかりし頃の三国湊には、松ヶ下、上新町、出村の3ヶ所に花街があり、「江戸の花魁(おいらん)、三国の小女郎(こじょろう)」といわれるほどに繁栄していました。そんな女郎達への手みやげにも使われただろう「鶯餅」は、上品で雅な「上方の香り」が漂っています。
餡(あん)も上品な京風です。
鶯餅

鶯餅

夏季には葛まんじゅう、冬季には蒸しようかんなど季節の和菓子も販売。あんは全て厳選された小豆の自家製で本物の菓子にこだわり続けています。

余談になりますが、鶯餅は鶯色の餅ではありません。ましてや日本の伝統的な色である鶯色は、黄緑色ではなく、薄茶色。黄緑色と思われているのは、鶯(ウグイス)を目白(メジロ)と間違えたから。ウグイスを目にする機会はなかなか得られるものではありませんが、実は薄茶色。まさに「大和甘林堂の鶯餅」こそ、本当の鶯色なのです。

鶯餅
大和甘林堂の社長の大和久米登(やまと くめと)さんは、坂井市観光連盟の会長などの要職も務め、地域活性にも尽力しています。
風雅な「大和甘林堂の鶯餅」、一度、景勝地・東尋坊(とうじんぼう)のある越前三国(坂井市)に行く機会があれば、ぜひ購入をおすすめします。

大和甘林堂
TEL0776-82-0046
福井県坂井市三国町北本町4-4-52
営業は8:30〜18:00
水曜休

ABOUTこの記事をかいた人

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!